高校卒業後、パティシエになる決意を胸に地元の沖縄を離れ、神戸の地へ。
学生時代は家賃1万5千円の四畳半の長屋に住み、製菓学校に通いつつ、大阪梅田にある老舗の飲食店にて働きづめの生活を送りました。
製菓学校卒業後は神戸の"レーブドゥシェフ"に入社し、製菓技術をはじめ、食育や経営の知識を学びました。
その他にも、本場フランスやベルギーでの研修や数多くのコンテストへの出場、製造長(シェフ)となったことなど、"レーブドゥシェフ"にて培った経験は現在でも菓子製造に向き合う糧となっております。
目標としていた開業に向け、もがき苦しんでいる最中、私は気が付けば西宮の"パティシエ エイジ・ニッタ"に足を運んでいました。
その日、お店に到着したのは閉店間際…。残りわずかになった商品を買い占める私の姿を見て、なんとシェフ自ら製造した焼き菓子を手渡してくれたのです。
そのお菓子を口にした瞬間、私にとてつもない衝撃が走り、気が付けば涙が溢れていたのです…。帰り道の交差点で号泣しながら食べたその美味しさが忘れられず、私はこの味を学びたい一心で、"パティシエ エイジ・ニッタ"へ入社し、パティシエとしての生き方、考え方、素材の良さを引き出す大切さや工夫などを教えていただきました。
そして、さまざまな経験を経て、パティシエを志す上での目標であった開業のため、地元の沖縄に戻り、今に至ります。
未熟さゆえ、一筋縄ではいきませんでしたが、友人、仲間、家族をはじめ、多くの方々の支えとご協力のもと、2020年1月10日に、Pâtissier MAÉSUN (パティシエ マエサン)をオープンすることができました。
これからも感謝の気持ちを忘れず、その心をお菓子に込めて、みなさまにお届けできるよう、日々精進していきたいと思っております。